木下晴都の没年

私の鍼術は北京堂浅野式というやり方です。体の深部で固まっている筋肉を長く太い鍼で刺激する術式です。この鍼のやり方を教えてくれたのは浅野周という人です。とてもやさしくて面白い話をたくさんしてくれるおしゃべり好きな先生です。鍼灸師のかたわら中国語の鍼の本を日本語に翻訳している翻訳家の一面も持っています。いろいろな鍼の本に翻訳浅野周と書いてあるので鍼灸師や学生は必ず目にしたことのある名前だと思います。知る人ぞ知る先生なのです。北京堂浅野式は木下晴都と中国人の朱漢章の理論をベースに浅野先生が開発した鍼術です。

先日、浅野先生の治療を見学しているとき、木下晴都は自分のやった鍼施術の比較試験をして、その結果を本にまとめて出版しているので後世の我々がその本を参考にできる。ツボの名前で効果を書いてある本はあるけど、何センチの鍼でどこの筋肉を狙って刺したのか、を細かく書いてある本はあまりない。木下晴都が本を残してくれたおかげで今の技術体系ができた、鍼灸師はもっと本を読んで勉強して後世に繋げないとね。という会話をしていました。

浅野先生との会話のなかで無学の私は、そもそも木下晴都という人物が現代でも生きているのか、死んでいるのかも知りませんでした。そこで先生に「木下晴都は今も生きているんですか?」と聞いてみました。すると「むかーーーしNHKに出ていたのをみたことがあるよ。その当時でかなりお爺さんだったよ」と教えてくれました。「多分もう亡くなっていると思うよ。試しにネットで検索してみて」と言われたので、私はグーグル検索しました。しかし生まれた年はわかっても亡くなった年がヒットしませんでした。つぎにチャットGPTでも調べてみたのですが没年に関する情報は出てきませんでした。今の時代ネット検索しても出てこない情報って珍しいなぁと思いました。誰も必要としていない情報なのでネットにあがっていないのかなぁ。とも思いました。

生まれた年は1915年長野県生まれになっていました。周先生は「今2025年だから生きていたら110歳だね笑」といつもの調子で飄々と教えてくれました笑。こちらは馬鹿負けするしかありません笑。110歳で生きている可能性は限りなくゼロに近いと思いました。周先生はもし生きていたら質問したいことがあるようです。本に書いてある刺鍼方法で肩中兪と肩外兪のあたりの刺鍼のやり方が気になるみたいです。なぜここにこういう方向性で打つのか?危険ではないのか?など、凡人の私では難しい領域の発想で疑問がある様子でした。

そんな会話をして数日後の話。
浅野先生の書庫にはたくさん本があり中国語の本もたくさんあります。私は日本語の漢字もおぼつかないので、中国語の本などは全く読めません。図や写真があるので絵本感覚でパラパラと見る感じです笑。貴重な本がたくさんあるので時間がある時は読ませていただいています。そのなかに木下晴都の本も数冊あり、その中の一冊に没年が書いてあったのを発見しました。

1986年に出版された『最新鍼灸治療学上巻』という本に(1997年1月31日死去)と記載されていました。それを発見したので周先生に報告。82歳でお亡くなりになっていることがわかりました。私は、ただ没年がわかって満足でしたが、周先生は違います。「ネット上に無い情報ならば木下晴都の没年を知りたい人がいるかもしれない。釘抜さん。試しにあなたのHPに没年の情報を載せたら検索に引っかかるようになるかもしれない」と言い出しました。情報は後世にのこすもの。私も木下晴都の没年を知りたくて探していました。なので、あまりいないと思いますが試しにこのブログに没年を書いてみることにします。現代の検索機能やAI検索などがどのくらい細かくネット世界を探っているのかにも興味があります。実験です笑。ブログネタにもなりました。

数冊の本のうち没年が書いてあったのはこの本だけでした

表紙

浅野先生の発想や目の付け所は見習って自分も今よりももっと進化して行かなくては!と感化されます。浅野式の技術は常に進化しています。効果を試し改善点があれば良いものに変えて行く。置鍼時間の長短も試行錯誤のうえ変化しているそうです。たまに見学に行かないと最新の浅野先生の鍼術を知ることはできないでしょう。常に刮目して新技術を見ておかないと置いてけぼりになるのでは、と思い私も気が引き締まります。
いつも面倒を見ていただいてありがとうございます。

投稿者: kuginukisekkotuin

柔道整復師・鍼灸師・あマ指師です。

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